街道をゆく ~角筈界隈~

まえがき

 弊社が事務所をお借りして、営業させていただいている新宿住友ビルは只今イベント中です。

 いつも大家さんの住友不動産様には、お世話になっております。

現在開催中のイベントに関する告知をこちらに掲載させていただきます。

■西新宿に365日 全天候型イベントエリア「新宿住友ビル三角広場」

三角広場大型ビジョンの放映スケジュールをご案内いたします。

(ご案内期間:2020年9月7日~2020年9月18日まで)

涼しい空間で、野球観戦をお楽しみください。

(飲食可能です、ビジョン前の店舗DELTAZUREで

生ビールを販売しておりますのでぜひご利用ください)

https://office-b.sumitomo-rd.co.jp/sankakuhiroba/

以上、CMでした。

この新宿住友ビルは着工が1971年11月で竣工が1974年3月6日(Wiki情報)ですので、今年で46年が経過するということになります。  その以前は淀川浄水場があったことは、ご存じの方はいらっしゃるかと思います。

1898年(明治31年)12月1日通水。原水は玉川上水から引き入れた。1965年(昭和40年)3月31日をもって廃止。その機能は東村山市の東村山浄水場に移された。跡地の再開発計画として新宿副都心計画がスタートし、1960年代後半から京王プラザホテルを皮切りに住友ビル、三井ビル、東京都庁舎など、次々と超高層ビルの建築が進んだ。現在は新宿中央公園の一角に淀橋給水所が残る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%A9%8B%E6%B5%84%E6%B0%B4%E5%A0%B4

1.淀川浄水場以前

今回はそれより前の話を書かせていただきます、淀川浄水場になる前、JR新宿駅西口一体の西新宿地区はその昔『角筈』と呼ばれておりました。読み方は「つのはず」になります。

広く人口に膾炙した涙なくしては読めない不朽の名作『鉄道員(ぽっぽや)』の原作者でもある浅田次郎さんが書かれた短編小説『角筈にて』(こちらも映像化されたようです)の舞台になります。

浅田先生の作品は読ませていただきましたが、泣かせる物語です。なお、作中に登場する角筈、ひいては歌舞伎町が好きになりました。街の成り立ちを知るほどに、愛着も湧いてくるというものです。

角筈は西新宿地区から、歌舞伎町の一部までがその範囲だったとの事。

角筈の名は戦国時代から見られ、北条氏の家臣綾部荘四郎の領地だった。
江戸時代には、角筈村と呼ばれ、明治維新まで幕府直轄領となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E7%AD%88

由来については、当時の地侍の髪型からとったとか何とかではっきりしないようです。

2.歌舞伎町の昔

余談ながら、歌舞伎町は池だったようです。そのため、現在でもJR新宿駅東口ロータリーから、北東方(つまり、歌舞伎町方面)を眺めると靖国通リにかけて緩やかに下り傾斜になっていることがわかります。

その昔、実験をされた方がいるそうです。人手が一時的に切れる早朝、この新宿東口のアルタ脇からサッカーボールを置いたら、自然に転がって当時の新宿コマ劇場まで無事に着いたそうです。

なるほど低地になっているからこそ、重力に従って球体が転がっていく。だからこそ、ヒトは夜の街に心魅かれるって事なんですね!

淀川浄水場を掘削するのに掘り出した土砂を、歌舞伎町の池に埋め立てたとの事です。

また、セントラルロードと歌舞伎町さくら通りの間にある新宿区歌舞伎町公園には、歌舞伎町弁財天を祀っているそうです。弁財天は海、川などの水に由来して弁天池などの地名に残すことも多くあることから、当時の面影を残していると言えそうです。

3.地名は言葉の化石

1978年には、西新宿から歌舞伎町にわたって広範囲に残っていた角筈の町名は全て変更されたとの事です。現在も角筈の地名は、新宿区立角筈図書館や新宿通りのバス停も角筈2丁目が現存しております。

 ここから考えてみると公共公益施設は、旧地名が残っている事が多いような気がします。

旧地名は江戸時代以前?からの、自然発生的な地域の山、川、丘等にちなんだある意味見たままに名付けた地名が存在することが多くみられます。

 その上で、江戸期の町割りにしたがった町割りがなされ、当該地のように昭和の世になってから、地名変更がなされるケースもあります。地名変更が行われる場合(地方行政の専門ではないので深入りは避けます)は、従前の街並みを一変しうる大規模開発を企図している場合が考えられそうです。つまり、町名と公共施設の名称が不一致の場合は大規模再開発された可能性がある。西新宿と角筈図書館の関係です。

まとめ

再開発された土地の価格は、従前の土地価格からの時系列的な推移とは、不連続になると考えられます。再開発によって、画地の大規模利用へと集約し、容積率も特定街区等の指定により大幅増加する等の価格形成要因が大きく異なるからに他なりません。

その場合土地取引が行われる事例が、十分に収集できない等が考えられますので、土地の価格水準を形成するには至らない事もあるかもしれません。

 以上、すっかりご無沙汰になった『夜の街』と我らが新宿住友ビルの来し方行く末に想いを馳せながら、駄文を書き連ねました。最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 現場からは以上です。

<了>